真面目であることは本来良いことであるはずなのに、どうも日本の世の中では真面目な人を小馬鹿にする風潮があると感じています。
真面目すぎると損だ、とすら言われる始末です。
HSPは特に真面目な人が多いと思うので、そんな世の中に不満を持っている人が多いのではないでしょうか。
今回の記事では、自分自身の真面目さとどう向き合い、どう生かしていくべきか、私なりの考えを述べていきます。
真面目さを小馬鹿にする世の中
私は幼い頃から家族や親戚、学校の同級生、部活の先輩後輩など、ありとあらゆる人に「真面目だね~」と言われてきました。
今でも職場の人に時々言われることがあります。
ですが、その言葉を好意的に受け取ることができません。
それは、「真面目だね~」と言っている相手の言葉の裏に、小馬鹿にした感情が見え透いているからです。
- 真面目だね~(何そんなに頑張っちゃってるの?笑)
- 真面目だね~(それよりもっと遊んだほうがいいよ)
- 真面目だね~(うわ、気持ち悪っ)
…といった真意が相手の表情や口調、雰囲気から伝わってきます。
なので、他人から「真面目だね」と言われることが私は非常に嫌いです。不愉快です。
こんな風に真面目さを小馬鹿にする世の中はおかしい、間違っている、と昔から強く感じています。
なぜ、日本では真面目であることが嘲笑されるのか
真面目であるのは本来良いことであるはずなのに、日本の世の中では真面目だったり、勤勉だったりすると「真面目でつまらない」「ガリ勉」などと馬鹿にされ、笑われることがあります。
一方、アメリカなどの国では真面目であることや勤勉であることを表に出しても、素直に称賛してもらえる場合が多いようです。
なぜ、日本では真面目さがあまり良くないことのように捉えられ、嘲笑されるのか?
それには主に以下の2つの理由があると私は考えています。
- 「出る杭は打たれる」という同調圧力
- 真面目でない自分の正当化
「出る杭は打たれる」という同調圧力
日本はほぼ単一民族の国であり、半ば無意識に「みんなが同じであること」が良いこととされています。
そのため、何かに秀でたり突出した人がいると、「抜け駆け」のように感じて嫉妬し、周りの人がその足を引っ張ったり、出る杭を打ち付けたりするのだと思います。
真面目で勤勉である人は、そうでない多くの人からすれば特別な人間に映るのでしょう。
特別な人が混じることによって、同じような人達の仲良し空間を、生ぬるい空間を脅かされるのが怖い。
それほど真面目でない人達の集団に、真面目な人という「異物」が入るのが鬱陶しく疎ましい。
そんな感情から、真面目な人を小馬鹿にするのでしょう。
私からすれば閉鎖的で嫌らしい考え方としか思えませんが…
真面目でない自分の正当化
真面目ではない人も「本当は真面目でいた方が自分が成長できるし、他人の信頼も得られ、いいことなのだろうな」と内心思っているはずです。
でも、真面目でいるのは大変だし面倒でやる気も出ない。ある程度不真面目でいた方が楽。
そんな自分を正当化するために、真面目な人を馬鹿にして見下し、相対的に自分の立場が上がったかのように演出することで優越感に浸る。
実際にはそんなものはまやかしに過ぎないのですが。
要は、真面目になれない自分のちっぽけなプライドを守るために、真面目な人を馬鹿にしているのです。
これは真面目さという観点に限らず、他人を馬鹿にする人の多くに当てはまるでしょう。
真面目という名の個性を封じ込めるのは勿体ない
私は学生時代、周りの人からさんざん「真面目だね」と言われ続けたため、真面目な自分が嫌になっていました。
どうにかして真面目な自分を辞め、不真面目な人間になれないかと考えたこともありました。
でも、そもそも私が普通に生活しているだけで他人には真面目な行動に映るということなので、それを強引に不真面目な生き方に変えることはできませんでした。
そして何より、真面目であることはとても貴重な個性だと思うのです。
世の中の多くの人はそんなに真面目ではなく、要領が良くて抜ける所は手を抜いている人もたくさんいます。
そんな中で、ただ自分の中の「普通」という感覚に従って生きているだけで真面目な態度になるというのは、素晴らしい強みであり、個性でしょう。
そんな真面目という強みをあざ笑う日本社会がおかしいのではないか?
周りの人達のろくでもない意見に惑わされ、真面目という強みを封じ込めてしまうのは、あまりに勿体なさすぎるのではないか?
HSPを筆頭とした世の中の真面目な人達に、真面目という強みをもっと存分に発揮して活かしてほしい!
そう私は思っています。
誰も何も言えなくなるくらい、真面目を貫き通せ!
周囲の人の「真面目過ぎるのは良くない」「真面目な人は損をする」といった言葉に影響され、真面目であることを引け目に思うから、尚更周りの人は真面目な人を小馬鹿にしてくるのではないか。
真面目を引け目に感じて下手に中途半端に抑え込もうとするから、自分の真面目さを活かしきれていないのではないか。
…とすると、周りの余計な意見は気にせずに、自分の真面目さを堂々と貫いて表に出し、行ける所まで真面目で突き抜けてしまえば、もう誰も何も言えなくなるはずです。
堂々として周囲の意見に動じない人を馬鹿にしても、思った反応が返ってこず、楽しくないでしょうからね。
徹底的に真面目を貫き通すことができれば、真面目な人は
- とてつもなく自分自身を成長させることができる
- 自分の才能を最大限に発揮できる
- 自分らしく生きることができる
- 自分の力を使って社会に大きく貢献できる
このように多くのメリットを享受できるはずです!
真面目であることが小馬鹿にされる世の中に屈して、真面目さを隠し押さえつけて生きるよりも、自分の真面目さを最大限に生かして自分らしく生きる方が、よっぽど幸せではないでしょうか?
まとめ
今回の記事では、HSPをはじめとした真面目な人が、自分が真面目であることとどう向き合い、どう生かしていくべきか私なりの考えを述べました。
日本の「真面目であることが馬鹿にされる」風潮は本当に良くないと思っています。
ただ、そんな風潮に屈してほしくはないです。
ぜひ真面目な人達には、真面目という名の個性を存分に発揮して、自分らしく生きていってほしいです!