今回の記事は「個性」がテーマです。
皆さんが内に秘めたる個性を抑圧することなく存分に発揮してほしい。
そんな願いを込めてこの文章を書きました。
もっと自分の個性を表に出したい、発揮したいと思ってはいるけど、他人の目が怖い…
そういう人にぜひ読んでもらいたい内容となっています。
日本社会は個性を発揮しにくいと感じる
私は、日本は個性を発揮しにくい社会だと思っています。
もともと日本はほぼ単一民族の社会かつ村社会であり、多様性や国際性が高まった現代でも、それは未だに尾を引いていると思われます。
表向きは「全ての人が個性を発揮できる社会に」などの言葉を掲げていても、実際には潜在的な同調圧力があり、みんなと同じであることや普通で無難であることが良しとされる場合も多い。
中学、高校といった「学校」はその最たるものでしょう。
クラスに一風変わった人がいれば、すぐに周囲から攻撃される。
強い個性を表に出す人は出る杭として打たれ、蔑まれ、馬鹿にされ、時にイジメの標的にすらなる。
日本の就職活動も同様です。
就活生に対し、みんな一律に同じような服装、外見に整えることを求めているのは異常としか思えません。
個性の発揮なんて考えとは真逆とも言える風潮です。
人間一人一人の能力やステータスを多角形のレーダーチャートのように表すとすれば、綺麗な多角形になる人はまずいません。
どの人も極端に突出していたり、あるいは逆に大きく凹んでいたりする箇所があり、歪な形をしているはずです。
それなのに、社会では「普通である」ことを求められる。
確かに組織に属するのなら、そのルールをあまりに逸脱する行動は慎むべきです。
個性を盾にした横暴で他人を傷つけたり、過度な迷惑をかけることは許されません。
だとしても、あまりにも「均質な個人」を求めすぎていないか?
そう私は感じるのです。
誰もが自分の「強み」となる個性を持っている
私は、自分自身の大きな強みとなりうる「強力な個性」を、誰もが絶対に隠し持っていると信じています。
ただ、この社会の中でそれを思う存分に表現していくのは、非常に困難です。
私自身の例を挙げれば、私にはHSPを由来とする「超鋭敏な感受性」という、使い方次第では両刃の剣となりうる、唯一無二の武器が生まれつき備わっています。
しかし、その個性は世間一般で言う「男らしさ」とは対極に位置する性質であり、常に嘲笑や軽蔑の対象とされてきました。
他の例としては、芸能人の「Matt」さんが挙げられます。
元プロ野球選手の桑田真澄さんの息子で、強烈に個性的なメイクをした外見で有名です。(知らない方は調べてみてください)
父親の経歴は関係なく、世間に何と言われようと自分のやりたいことを貫いている、まさに自分の真の個性を表現し尽くしている人です。
しかし、その非常に個性的な外見に対する誹謗中傷が後を絶たないそうです。
見た目が日本人一般の「普通」とは違うという、ただそれだけの理由で。
Mattさん自身の個性の表現によって、誰かを傷つけたり、迷惑をかけたりすることは一切ないのにも関わらず。
なぜ日本社会は個性を抑圧するのか
では、なぜこんなにも日本社会は一人一人の個性を抑圧しようとするのか?
その原因としては最初の方で述べた同調圧力の強さもあると思いますが、私は
『社会に溶け込むために、誰もが我慢して自分自身の個性を抑え込んでいるため、その暗黙知に反して個性を発揮している人に大きな反感や嫉妬を覚える』
ことが最大の理由だと思っています。つまり、
「私も、そしてみんなも個性を出すのを我慢しているのに、お前だけずるい!」
ということです。
その結果として、「普通の人」なんてものは本来存在しないはずなのに、「普通」という枠からはみ出そうとする人を許すことができない。
皆がお互いを「普通」という名の虚構の沼に引きずり込もうと、醜い足の引っ張り合いを続けている。
そんな社会は、果たして健全だと言えるのだろうか?
この不健全な社会の中であなたは、自分自身の個性は汚いもの、忌むべきものとして心の奥底にしまい込んでいるかもしれません。
それに対して、私は断言します。
あなたの個性は、決して非難されるようなものではありません。
間違っているのは、あなたが個性を発揮することを許さない社会であり、世界だ!!!
突き抜けた個性には大きな可能性がある
自分の個性は他の人から見れば普通ではないのかもしれない。
常軌を逸しているのかもしれない。
何なら狂気すら孕んでいるのかもしれない。
そう皆さんの中には感じている人もいるかと思います。
だが、その「狂気」こそが面白い!!!
ぶっとんだ個性を堂々と表に出す
↓
その個性に興味を持った人が惹きつけられる
↓
これまでにない新たな出会いが生まれる
↓
人と人との強烈な化学反応を引き起こす
↓
新しいモノ、面白いモノを生み出し、社会に新たな価値を提供できる
という感じで、常識とかけ離れた、狂気とも言える個性を前面に押し出すことは、限りなく大きな可能性を秘めていると私は信じています。
自分自身の個性を認めてあげてほしい
では、他人とは違う「普通ではない」個性というと、例えば
・周囲の人から理解されない価値観
・興味を持つ対象が人とズレている
・男らしさ、女らしさに沿わない外見や性格
・一匹狼で一人でいるのが好き
・いつも喋っていないと気が済まない
・恋愛や結婚に興味がない
・日本人らしからぬズバズバとした物言い
・グロテスクな芸術が好き
・変わった生き物が好き
・カラフルで奇抜な服装が好み
・難解な文学が好き
…など色々あると思います。
それでも全然いいじゃないか!と私は思うのです。(もちろん他人を傷つけない範囲でですが)
例え他人から批判されようが屈する必要はありません。
オリジナルの個性を持っている自分を否定せずに、認めてあげてほしい。
自分で自分を否定してしまったら、誰が自分を心から受け入れてくれるというのか?
そして、私は皆さんにこう問いかけたい。
『個性という名の自分の内に眠れる獅子を、眠らせたままで本当にいいのか!?』
個性の力で人生を切り開く
仮初の「普通の人」となれるように個性を隠した人生に最後まで甘んじるのか。
それとも個性の力で自分だけの人生を切り開くのか、選ぶのはあなた自身です。
ぜひ、自分は「普通ではない」と恥じたり隠したりすることなく、臆せず個性を社会にぶつけてほしい。
あなたが個性を発揮することを許そうとしないこの社会に、堂々と反旗を翻してほしい!
そしてその時、燃える焔のように輝くあなたの個性はきっと、先の見えない世の中を照らし出す篝火となるはずです。
まとめ
以上、今回は「個性」というテーマで私が伝えたい内容を余すことなく書き切りました。
この記事を読んだ誰か一人にでも勇気を与えることができたなら、感激の極みです。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。