今回のテーマは「心を守る方法」です。
多種多様な人がいる人間社会の中で自分の心を守り、精神的な健康を保って生きていくために必要なことについて、私の願いも交えて書きました。
多くの人がメンタルを壊している現状
いきなり少し重い話ですが、これまでの私の人生で、身の回りでメンタルを壊してしまった人を数多く見てきました。
それも、どこか特定のブラック企業に努める人々とかではなく、多様な年齢、性別、性格を持ち、様々な組織に属し、色々な仕事をしているバラバラな属性の人達です。
なのに、そんな世の中の現状に誰も強い危機意識を抱くことなく、社会は平然と回り続けています。
それは異常なのではないか、歪んでいるのではないか、何かの歯車が狂っているのではないか…、と私は思うのです。
人間以外の生き物がメンタルを壊したという話は聞いたことがありません。
でも、人間だけは心を病んだ人が世の中にごまんといる。
そんな状況はやはり間違っているはずです。
世の中の人々は心の健康を軽視しすぎではないか
世の中の人々は、自分自身の、そして他人の心を守るということをあまりにも軽視しすぎていると思います。
それとも大多数の人はストレスにめっぽう強く、メンタルを病むなんてこととは無縁な人生なのでしょうか?
私には到底そうは思えません。
心は一度壊してしまうと、二度と完全には元に戻らないと言われています。
骨折したり、筋肉を損傷したり、お腹を壊したりしても、時間が経って回復すれば元通りになるのとは対照的です。
そして心の問題に関する衝撃的なデータ。
- うつ病の再発率は60%
- 障害年金を受け取る人の約60%が精神障害
それを果たしてどれだけの人が知っているのか?
この事実を知った上でも、心の健康を保つことを甘く見ていられるのか?
私自身は幸いにも、大きく心を壊すことなくこれまで生きてこられました。
とはいえ非常にメンタルの弱い人間なので、所属する環境と接する人次第では、一歩間違えれば心の病気になっていた可能性があります。
だからこそ、自分の心を守り、精神的な健康を保って生きていくための方法を、皆さんに心得てほしいのです。
それを以下詳しく説明していきます。
「嫌な人から逃げる」ことが何よりも重要
結論から言うと、とにかく「嫌な人から逃げる」ことが何よりも重要であるというのが私の考えです。
以前の記事で「不安を引き起こす要素から逃げる」ことの重要性について書きましたが、それに近いものがあります。
世の中では「逃げる」ことに対してマイナスの印象が強すぎます。
その結果、嫌なことや嫌な人から耐えて耐えて耐え続け、心を壊してしまう人が生まれているのだと私は推測しています。
逃げることだって立派な一つの戦略であり、選択肢であるはずです。
悲しいことですが、社会にいるのは善良な人達ばかりではありません。
- 他人の痛みがわからない人
- 他人を傷つけることに悦びを感じる人
- 自分の考えが全て正しいと思っている人
- 常に相手より優越感を感じていたい人
- 他人を騙して利益を得たい人
- 自分より優秀な人間が気に食わない人
のような、悪意を持った人間が世の中にはたくさん潜んでいます。
そしてなぜか、こういう狡猾な輩はどんな組織にも少数ながら一定数は存在するものです。
本当に不思議なのですが、必ず最低一人はいます。
無害な人だけの組織というものは存在してくれないのです。
そういう人はパワハラ研修などで指導を受けても、長年かけて歪み切った性格は根本的には変わりません。
考えを改めてくれるとは期待しない方がいいでしょう。
また、世の中には多種多様な性格や考え方の人がおり、どうしても自分とは壊滅的に相性の悪い、どう頑張っても分かり合うことのできない人がいます。
それは自分のせいでも相手のせいでもありません。
人間という生き物であるがゆえの必然で、仕方のないことです。
そして基本的に他人の考えを変えることは不可能であり、かといって自分が強引に相手に合わせ続けるのは莫大な負担となります。
相性の悪さを改善するのは諦めるしかないと私は思います。
こうした「悪意を持った人」や「壊滅的に相性の悪い人」と長期間接し続けていれば、自分の心は疲弊し、傷付き、蝕まれ、いつか壊れてしまう可能性があります。
心が壊れる前に逃げられれば、何度でも立ち上がれる
この「悪意を持った人」や「壊滅的に相性の悪い人」が家族や親族、会社の上司や同僚、友達”もどき”に存在する場合は非常に危険な状況です。
これらの人達のせいで少しでも自分の心がやられていると感じたならば、全力で逃げる・避けることを考えるべきです。
具体的には、
- 家族や親族:極限まで接する機会を減らす、自分からは絶対連絡しない
- 会社の上司や同僚:接する機会を減らす、仕事相手を変えてもらう、異動する
- 友達もどき:思いきって縁を切る
といったことが考えられます。
「いやいや、そんなの難しすぎるよ!」と思う人もいるかもしれません。
もちろんそれは重々承知の上です。
そうだとしても、自分のメンタルに悪影響を及ぼすような人から離れることがもたらす効果は本当に大きいのです。
常に頭の片隅に「逃げる」という選択肢を用意し、意識し続けていることにより、いざという時になれば逃げるための思い切った行動ができるはずです。
心が壊れる前に逃げることができれば、何度だって人は再び立ち上がることができます。
でも、逃げずに我慢し続けて心が壊れてしまえば、二度と再起不能になってしまう危険性があります。
どちらが良いのかは一目瞭然です。
いざ逃げようとした時に、嫌な人本人あるいは逃げるための相談を持ち掛けた人に
「このくらい我慢できなきゃどこに行ってもやっていけないよ」
「この程度で音を上げるなんて情けない」
といった言葉を浴びせられるかもしれません。
ですが、それを真に受ける必要は一切ありません。
そんなのは、心優しき者の痛みを理解できない人の戯言にすぎない!
嫌な人から逃げることを決して躊躇わないでください。
嫌な人と向き合う必要は一切ない
「自分自身から目を背けず、徹底的に向き合うことの大切さ」を前回の記事では主張しました。
今回の内容はそれと矛盾していると感じる人がいるかもしれません。
自分自身と向き合うことは、自分をより深く理解できたり、心を鍛えたり、前向きになれたりといった様々なメリットがあります。
それに対し、嫌な人に向き合うことで得られるものは何もありません。
ただただ一方的に精神が疲弊し、消耗するだけです。
百害あって一利なしとはまさにこのことです。
「我慢強くなれたり処世術が身に付いたりするのでは?」と思う人もいるかもしれませんが、デメリットの方が大きすぎます。
ほんの少しだけ我慢強くなる代わりに、心に計り知れない大きさの傷を負う。
そんなことに意義なんて見出せないでしょう。
嫌な人は、あなたの人生から徹底的に排除すべきです。
嫌な人からすぐに逃げられるシステムが理想
本来であれば、嫌な人から攻撃の対象にされてしまった場合に、すぐに逃げることのできるシステムであるべきだと思っています。
アメリカの学校では、いじめはどう頑張ってもなくならないという前提で、
- 毎年クラス替えがあり、同じクラスになりたくない子を申請できる
- いじめた子は即、謹慎処分
- 公立校でも簡単に転校できる
という制度になっているとのことです。
「いじめはなくならない」という前提は悲しくもありますが、子どもを守る上では現実的でとても効果的なシステムだと思われます。
とても難しいことだとは思いますが、これと同じように日本の学校でも、会社でも、申告すれば嫌な人からすぐに逃げられるような、一定のフレキシブルさを持った制度が整備されることを望みます。
その制度を利用することで、心を壊す人が一人でも減ってほしい。
そして、嫌な人から逃げることを「忍耐力がない」とか「ワガママだ」とかみなす風潮がなくなることを願っています。
一方で、「いじめた側への処分」は子供には有効かもしれませんが、人格が形成しきった大人に対してはあまり効果は期待できないでしょう。
パワハラする人は処罰を受けても懲りず、また別の人へのパワハラを繰り返すことになると思います。
まとめ
結局は人間社会も野生動物と同じで、生存競争の縮図なのかもしれません。
厳しい世の中で自分が生き残るために、他者を傷付け、貶め、踏み台とする。
そんな人を山ほど見てきました。
その被害者として、メンタルを壊してしまう人が続出しているのです。
人間も生き物である以上、生存競争のため他人を蹴落とすのは仕方ない…、とは私にはどうしても受け入れられない!
全ての人が平和に生きられる人間社会であってほしい。
あらゆる人が穏やかな心でいられる世界であってほしい。
陳腐な理想主義者や偽善者だと言われるかもしれません。
私は救世主でも何でもない。世界の痛みを癒す力はない。
それでも私は、誰も心を壊すことのない世界と、皆の幸せを願いたいのです。
そのためにも、「嫌な人から逃げる」ことを強く意識し、自分の心を大切に守りながら日々を送ってほしいと思います。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。