今回のコラムは、おそらく多くの人が経験しているであろう「すごい人と自分をつい比べてしまう」という悩みがテーマです。
前半では、私が自分なりに考えて実践している、すごい人とできるだけ比較しないための方法や工夫を解説します。
後半では視点を変え、すごい人がいつでもどこでも目につき、自分と比較せざるを得ない状況になっている、現在の世の中への問題提起をしたいと思います。
今の世の中では、すごい人が目につきやすい
今の世の中では、いわゆる「すごい人」をとにかく頻繁に見かけます。
ネット、テレビ番組、ニュース、SNS、動画投稿サイト、などなど色々な場面で
・スポーツ ・楽器の演奏 ・歌唱 ・語学 お笑い
・イラスト ・料理 ・ダンス ・勉強 ・工作 ・筋トレ
といった、あらゆるジャンルにおいて並外れて上手い人、才能のある人を日常的に見かけるのが現在の社会です。
そして、注目を集めるのはプロのスポーツ選手や有名な歌手、テレビに出ているお笑い芸人のような特別な人達だけではありません。
普通の会社員や学生のような人であっても、才能に満ち溢れた人なら誰でもネット環境を通じて自分のすごさをアピールし、大いに目立つことができる。
そんな状況なので、たまたま見かけたすごい人と自分自身を事あるごとに比較しては、「自分は何てダメなんだ…」と落ち込んでしまう人が多いのではないでしょうか。
少なくとも、私自身はまさにそうでした。
では、すごい人と極力比較しないようにするためには、一体どうすればよいのか?
正直、特効薬と言えるほどの強力な方法は存在しないと思っています。
ですが、私なりに色々と試行錯誤しながら日々実践している方法はありますので、それを今回は皆さんに紹介していきます。
すごい人と比べないための方法
とにかく手を動かす
すごい人とできるだけ比較しない方法の一つ目は、「とにかく手を動かす」です。
他人と比較して落ち込む場面というのは、自分が現在進行形で頑張っている分野や上手くなろうとしている分野において、すごい人を見かけた場合が多いと思います。
例えば、楽器の演奏を上達したくて練習している人であれば、SNSや動画投稿サイトで、難しい曲をいとも簡単に演奏する子どもの動画を見て、到底その域に及ばない自分と比較し、落ち込むといった感じです。
そんな時、「これ以上頑張っても仕方ない」と諦めたくなる気持ちをこらえ、とにかく、とにかく手を動かす。
すごい人の存在は一旦脇に置いておき、ひたすら練習や訓練に取り組み続ける。
目の前のことに対する、自分自身の努力に全力で集中する。
勉強はやり始める前が一番憂鬱ですが、強引にでも一度机に座って始めてしまえば、憂鬱な気分がいつの間にか消えていた、なんてことがよくあります。
それと同じで、すごい人と比べてしまったとしても、頭で考えるよりまず先に手を動かし始めれば、落ち込んだり自己嫌悪したりといった感情を、最小限に封じ込めることができるはずです。
情報を制限する
すごい人とできるだけ比較しない方法の二つ目は、「情報を制限する」です。
この方法が最も有効だと私は考えています。
今回のテーマだけに限らず、様々な悩み事への対策として応用できるテクニックです。
身につけておいて絶対に損はないです。
すごい人と比較して落ち込むのであれば、そもそもすごい人を見かけないようにすればいい。
すごい人の存在を自分が認知できないようにすればいい。
そのために、具体的にはテレビやネット、SNSを見る頻度を意識的に減らします。
見る頻度をどの程度減らすかは、皆さん各々の気にしやすさ、嫉妬心の抱きやすさ、落ち込みやすさなどを考慮して自己判断で決めるのが良いと思います。
設定したURLのホームページを閲覧できなくするプラグインや、SNSの利用時間を制限するアプリを、スマホやPCに導入するのも一つの手です。
メディアやネットを通じて、日本中や世界中といった広い範囲とつながることで、我々個人がすごい人を目撃する機会は爆発的に増加します。
その流入経路を狭める、あるいは遮断することは、すごい人と比較して落ち込まないための根本的な対策と言えるでしょう。
消極的な方法と思う人もいるかもしれませんが、自分の心の安定に勝るものはありません。
私は今後も「情報の制限」を様々な場面で推奨していくつもりです。
人間の性質だと受け入れる
すごい人とできるだけ比較しない方法の三つ目は、「人間の性質だと受け入れる」です。
これは、そもそも比較しない方法というよりは、比較してしまった時に落ち込まないための方法です。
すごい人と自分を一切比べなくなる、それは実際には限りなく難しいです。
なぜなら人間という生き物は、他人との関係性をもとに自己を認識する生き物だからです。
我々は他人と比較することによって、
- 集団内における自分の立場や役割を認識できる
- 自分の現状の能力、実力を正確に把握できる
- 人間関係において適切な立ち振る舞いができる
- 物事の善悪、正誤を判断できる
ようになります。
だから、他人とつい比較してしまうことは、人間に元来備わった性質。
たとえその相手が自分では到底及ばないほど、すごい人であったとしても。
であれば、すごい人と比べてしまうのは仕方のないこと、不可抗力だとも言えます。
自分だけに限らず、人間なら誰しも少なからず苦しむことなのだと。
そう理解することができれば、
「ああ、またすごい人と比べて私は劣等感を抱いているのだな。」
と自分を客観視でき、落胆の気持ちをかなり和らげることができるでしょう。
現在の世の中への問題提起
情報化社会が「ものすごい人」への利益の一極集中をもたらした
ここまでは、すごい人と比較しないための方法を紹介してきました。
しかし私は、すごい人がありとあらゆる場面で目につくがゆえ、劣等感を抱かざるを得ない、そんな状況になっている世の中にそもそも疑問を感じています。
情報化社会が発達する以前、世界の繋がりがまだ薄かった時代なら、特定の物事が他の人よりも『ある程度』上手かったり、得意だったりすれば
「~のことなら村の(町の)〇〇さんにお願いしよう」
という風に、多くの人が自分の得意な技能を生かし、独自の地位を確立することができました。
しかし、ネット社会の発展によってその状況は一変。
村の(町の)〇〇さんではなく、遠く離れた場所にいるもっと上手な××さんに依頼する、ということが簡単にできてしまうのが今の社会です。
すると、何が起こるか?
物事が『ものすごく』上手かったり、得意だったりするごく少数の人に、仕事の依頼や世間の注目が一極集中することになります。
『ある程度』上手いだけでは、『ある程度』得意なだけでは見向きもされない。
それは果たして健全なことなのでしょうか?
情報化社会への変革は、抗いようのない世界の潮流なのかもしれません。
だとしても、皆がその流れにただ身を任せるままで、本当にいいのか?
多くの人が比較で落ち込むことなく、才能を活かせる世界になってほしい
もちろん、『ものすごく』上手い・得意な人はそれ相応の努力を続けてきたのであり、多くの利益や賞賛を受けられるのは当然のことです。
ただ、今の社会ではその利益があまりにも過剰になりすぎていないか、独占状態になっていないか、というのが私の懸念です。
つまり、トップとそれ以外では天と地ほどの差がある、と。
『ある程度』上手い、得意なだけでは大した利益を受け取れない現代社会では、せっかく才能があるのに途中で諦め、心折れ、挫折する人が多く生まれてしまいます。
それは、まさしく悲劇以外の何物でもありません。
資本主義経済では、そういった「格差」をできるだけ減らす仕組みがあります。
例えば今の日本では、所得が多く生活に余裕のある人は所得税が多くなる、累進課税という制度が採用されています。
これと同様に、『ものすごく』上手い・得意な人ばかりが利益や注目を独占するのではなく、『ある程度』上手い・得意な人もそれ相応の、正当な利益を受け取ることのできる、そんな仕組みを設けるべきではないかと思うのです。
そうすれば、すごい人がいつでもどこでも目につく現代社会の中でも、志ある人が劣等感で心折れることなく、モチベーションを維持できるようになる。
結果として、多くの人が才能を活かせるようになり、社会全体にとってプラスになると私は信じています。
まとめ
以上、今回のコラムでは、すごい人とできるだけ比較しないための方法を解説しました。
また後半では、すごい人が目立ちすぎる現在の世の中への問題提起も行いました。
今回紹介した方法を活用することで、劣等感を抱きやすいこの世の中でも、ぜひ皆さんには健全なメンタルで生き抜いてほしいです。
また一方で、過剰な劣等感や挫折感を植え付けないような、人に優しい社会になってほしいとも切に願っています。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!