以前から感じていたことではありますが、特に最近のニュースやネットを見ていると、「日本人はあまりにも不寛容で他人に厳しすぎないか?」と思うことが多いです。
それは決して私の気のせいではなく、どうやら本当に日本人には他者に厳しすぎる一面があるようです。
今回の記事では、日本人が不寛容であると私が感じる具体的な事例を紹介し、その原因と「どうすれば寛容な心を持てるか」について自分なりに考えた解決策を述べていきます。
日本人が不寛容であると感じる事例
不祥事を起こした人を徹底的に叩き、炎上させる
最近はニュースやネットを見ていると
- 不倫をした芸能人
- 騒動を起こしたYouTuber
- 失言をした政治家
- 特別扱いを受けた有名人
といった人達が、猛烈に徹底的にバッシングされているのを目にすることが多いです。例えば、
- 俳優の東出昌大さんやお笑い芸人の渡部建さんの不倫
- メンタリストDaigoさんの差別発言
- 名古屋市の河村市長が金メダルを噛んだ騒動
- 女優の綾瀬はるかさんがコロナですぐに入院できた事例(有名芸能人だから優先されたのではないか)
などが挙げられます。
もちろん、これらの行為が良くないことであるのは間違いありません。
でも、それで直接的に我々一般市民に何か悪影響があるのかと言われると、そんなことはないはずです。
それにも関わらず徹底的に叩きのめして炎上させ、場合によっては活動自粛等に追い込むのは、さすがに常軌を逸しているほど不寛容ではないかと思います。
子供や妊婦への風当たりが厳しい
また、子供や妊婦の方に対してもちょっと厳しすぎないか?とも感じます。
幼稚園の子供の声がうるさいという苦情は、その最たるものでしょう。
確かに気持ちは分からなくもありません。
とはいえ、子供は社会の宝であり、元気に健やかに育ってほしいはずなのに、その元気な様子がまるで迷惑かのように見なすのはあまりにもかわいそうです。
あなたが子供の頃は常に静かだったのですか?と逆に聞きたくなります。
電車やバスなどの公共交通機関で子供が騒いだり泣いたりしていると、周囲の人からいかにも「迷惑だ」と言わんばかりの冷たい目で見られます。
もちろん親がそれを放置したり、見て見ぬふりをしていれば問題ですが、親が頑張ってあれこれ手を尽くしていたとしても白い目で見られます。
同様に、妊婦の方やベビーカーを押している人が電車やバスに乗っていると嫌な目で見られたり、直接何かを言われることはなくてもネット上で「邪魔だ」などネチネチと文句を言われます。
本来社会全体で支えるべき、守るべき人達が厄介者のように見なされているのは、とても悲しいです。
こんな状況では、日本で子供を育てるのは大変だろうな…と感じます。
なぜ日本人はこんなにも不寛容で他人に厳しいのか
なぜ日本人はこんなにも不寛容で他人に厳しいのでしょうか?
それは、日本人には「自分勝手な人を徹底的に許さない」という深層心理があるからだと、私は考えています。
日本はもともと単一民族なこともあり、みんなと同じであることが望ましいとされてきました。
そういう空気感に合わせるため、出る杭になって打たれないよう、多くの人が本当はやりたいことを色々我慢していると思います。
そんな中で、我慢せずに自分の欲求に任せて周囲よりも目立ったり、特別扱いされたり、騒ぎを起こしたりする人がいれば、
「みんなやりたいことを我慢して生きているのに、お前ばっかり自分勝手な行動をしやがって!許さない!」
という、ある意味嫉妬にも似た感情が爆発し、結果としてそのような自分勝手な人に対して極端に厳しい社会になっているのだと推測しています。
子供や妊婦への風当たりが強いことも、同様に考えることができます。
公共交通機関で多くの大人が他人に迷惑をかけないように気を遣って過ごしている中で、子供が騒いだり妊婦の方が優先して配慮してもらっている。
それはとても厳しい見方をすれば、ある意味「自分勝手な行動」とも捉えることができてしまいます。
実際には世の中には色々な人がいて、それぞれに事情があるはずなのにそれを考慮せず、人と違った目立つ行動をしている人が何でも「自分勝手」と見なされてしまっているように思えてなりません。
どうすれば寛容な心を持てるのか
では、どうすれば我々日本人は寛容な心を持てるようになるのでしょうか。
その方法として、私は以下の2つがあると考えています。
- 世の中には様々な事情を持つ人がいることを理解する
- 外国人などの異なる価値観を持つ人と交流する
世の中には様々な事情を持つ人がいることを理解する
前述した通り、世の中の人はそれぞれに事情を抱えています。
それなのに、その背景を考えずに自分の主観で、一律で「自分勝手な行動は慎め」と考えてしまっていることが、不寛容さにつながっていると思います。
一例として、電車で自分の子供が騒いでいるのを注意しない人がいた場合、
- 耳が聞こえず、自分の子供が大声を出しているのに気付いていない
- 実は他人の子を預かっていて、どう注意すればよいのか分からない
- とてつもなく悲しい出来事があってひどく落ち込んでおり、それどころではない
というように、こちらからは分からない深い事情があるのかもしれません。
自分なら当たり前に、他人の迷惑にならないよう配慮できる場面でも、その人にとってはそれが困難な状況なのかもしれない。
という可能性を想定し、「何か事情があるのかも」と常に意識するようにする。
そうすれば、他人の自分勝手に見える行動にもそこまで目くじらを立てず、寛容な心を持てるようになるはずです。
外国人などの異なる価値観を持つ人と交流する
外国人の方など、自分とは根本的に価値観の異なる人と接することも非常に有用だと思います。
現在のコロナ禍ではなかなか難しいかもしれませんが、海外に旅行したり、留学したりして現地の人と接する。
もしくはネットを通じて海外の人と交流することもできるかもしれません。
そうすることで、自分の中の「こうするべきだ」「こうしなければならない」といった価値観がいかに狭い視野によるものだったかということが分かると思います。
私自身も大学時代に韓国とベトナムに行ったことがあり、また大学で所属した研究室では様々な国からの留学生がいました。
その人たちと接する中で、
- 宗教上の理由で食べられないものがある
- 怒られてもあまり気にせずいつも陽気
- 日本人だったら「空気読めない」と思われそうなくらいズバズバ言う
というように、日本人の価値観では驚くような出来事が多々ありました。
でもそれは決して自分勝手とかではなく、そういう文化や風土だというだけのことです。
決して否定されるようなことではなく、尊重されるべきものです。
この大学時代の貴重な経験を通じて、私は昔ほど他人に厳しくはなくなったと思っています。
外国人のような多様な価値観の人々と接することで、自分の凝り固まった固定観念を打ち崩し、視野が広がって寛容な心を持てるようになるでしょう。
まとめ
今回の記事では、日本人が不寛容であると私が感じる具体的な事例を紹介し、その原因と「どうすれば寛容な心を持てるか」について自分なりに考えた解決策を述べました。
日本社会の風潮に影響されている部分が大きいとはいえ、いつも他人の不祥事や自分勝手な行動に目を光らせ、叩いたり炎上させたりするような人生は、あまりにも寂しいのではないでしょうか。
人それぞれ何か事情があるのかもしれないと意識し、さらに様々な価値観に触れて視野を広げることで、自他ともに寛容で心の広い人間になれるのではないでしょうか。