今回は、ニュースをできる限り見ないことのメリットを解説します。
何をバカなことを言っているんだ?と感じた人もいるかもしれませんが、騙されたと思ってぜひ一読してみてください。
「News Diet」という本を読んで私が考えたことを基に、内容を構成しています。
大量のニュースで溢れている世の中
情報化社会の現代では、世の中のありとあらゆる場所がニュースで溢れています。
テレビ、ラジオ、新聞、ネット、電車の中、などなど…
いつでもどこでもニュースに触れることのできる状況です。
この記事を読んでいる方々の中にも、日々頻繁にニュースを見ていたり、意識的にニュースを見て情報収集をしている人がいるかと思います。
ニュースを見るのは何気ない、当たり前の、半ば無意識な行動なのかもしれません。
でもそのせいで、知らず知らずのうちに我々は様々な弊害を受けています。
当たり前として受け入れていた習慣を変え、ニュースを意図的に見ないようにすることで、その弊害から身を守るだけでなく、様々なメリットを得ることができます。
以降では、ニュースを見ることで生じるデメリットと対比させながら、ニュースをできる限り見ないことのメリットを順次説明していきます。
ニュースを見ないことによるメリット
自由な時間が増える
ニュースを見ないメリットの1つ目は、【自由な時間が増える】です。
ニュースを見ている時間なんて微々たるものだろう、と感じる人もいるでしょう。
でも、1回あたりのニュースを見る時間が2~3分だとして、それが朝昼晩365日積み重なっていくと、決してバカにできない時間のロスになります。
ニュースを見ている時間は無駄じゃない、時間のロスなんかじゃない、という意見もあると思います。
では、ニュースの中で自分にとって本当に重要な情報がどれだけあるか?
貴重な人生の時間を削ってまで見る価値が本当にあるのか?
そう冷静になって考えてみれば、ニュースを見るのをやめて自由に使える時間を増やすことで、手軽に簡単に人生の充実度を上げられるということが、皆さんにもよく理解できるのではないでしょうか。
自分の心を守れる
ニュースを見ないメリットの2つ目は、【自分の心を守れる】です。
ニュースというものはその性質上、できるだけ多くの人に見てもらえるよう、人間の心に強い印象やショックを与える内容が多いです。
すなわち、悲しい、怒りを覚える、ショッキングな、不快な、恐ろしい出来事の情報ばかりで、見ていていつも嫌な気持ちになります。
逆に、明るい内容で見ている人が嬉しくなるようなニュースはあまり報道されません。
なので、ニュースを見続けるということは、毎日毎日嫌~な情報の洪水を浴びるということであり、わざわざ積極的に自分の心を痛めつけているようなものです。
そう言われると非常にもったいなく思えてきませんか?
特にHSPのように繊細な人や共感力の高い人は、戦争や悲惨な事件のニュースを見て深く傷付いたり、思い悩んでしまうことが多いでしょう。
そんな人こそ、ニュースを見ないことのメリットは大きいのです。
ニュースをできるだけ見ないようにすることで、日々襲いかかってくる嫌な情報をシャットアウトし、自分の心を守り続けることが可能になります。
ストレスを減らせる
ニュースを見ないメリットの3つ目は、【ストレスを減らせる】です。
私達はニュースを見ると、その一つ一つの内容に対して
- なんてひどいんだ
- もっとこうすれば良かったのに
- これだから〇〇はけしからん
- そんなんじゃダメだよ
- 私ならそんなことはしない
など、つい様々な反応や考察をしてしまいます。
そのたびにイライラが募り、ストレスが溜まることになります。
もちろん、世の中の出来事に対して自分の考えを持つのは大切なことです。
でも、日々流れてくる膨大な量のニュースに逐一反応していては、身が持ちません。
よくご年配の方がテレビのニュースを見ながら、あーでもないこーでもないと文句を言い続けているのを見かけますが、確実に心の健康に良くないです。
ニュースをできる限り見ないことで、余計な反応をする機会を極力減らし、必要のないストレスを減らすことができます。
そうすることで、イライラすることなく心の平穏を維持することができます。
これはまさに、「反応しない練習」という本で著者が提唱している内容の実践だと言えるでしょう。
反論への回答
ニュースを見ないと世の中についていけなくなるのでは?
さて、ここまでニュースをできる限り見ないことのメリットを語ってきました。
しかし、「ニュースを見ないと世の中の流れについていけなくなる」という反論をする人がいるかと思います。
でも私自身、昔に比べてニュースを見る時間や回数は大幅に減っていますが、日常生活において不便を感じたことはないですし、世の中に置いていかれている感じもしません。
「News Diet」の著者のロルフ・ドベリさんは一切ニュースを見ない生活を長年続けているそうですが、それでも日々の生活に何の問題もないそうです。
そもそも、ニュースで報道される様々な出来事の中で、私達の日常生活に直接関係あるものはほとんどありません。
知っていないと社会を生きる上で致命的な支障をきたすニュースなど、存在しないのです。
なので、「ニュースを見ないと世の中の流れについていけなくなる」なんてことは全くの杞憂である、というのが私の考えです。
むしろ私からすれば、現代社会の「みんながみんなニュースの内容をいつでも熟知している世の中」の方が不自然であり、強い違和感を感じます。
ニュースを見ず、世界の悲惨な出来事から目を逸らすのは失礼なのでは?
他には、「ニュースを見ないことで、世界で起こっている悲惨な出来事から目を逸らすのは、とても失礼なことなのではないか」という反論もあると思います。
では、世界の戦争や貧困、凶悪事件、自然災害といった悲劇に関するニュースを見て、ボランティアに行くなど、具体的に何か行動を起こしている人がどれだけいるのでしょうか?
ほとんどいないのではないかと私は思います。
そして多くの場合、世界で起こっている様々な悲惨な出来事に対して、私達の力ではどうすることもできないことが多いです。
そういう悲惨なニュースを見て、大抵の人は「かわいそうだな、大変そうだな」とどこか他人事のような目線で、高みの見物のような態度で、憐れみの感情を抱くだけでしょう。
そんな行為に一体何の価値がある!?
ニュースから流れる悲惨な情報をただ受動的に眺め、高みの見物に浸り、無為な時間を消費する。
そんなくらいなら、その分の時間を使って自己研鑽に励んだり、主体的に社会に貢献することに取り組んでいる方が、よっぽど大きな意義があると私は考えています。
ニュースを見るのではなく本を読もう
「じゃあ、ニュースは見ない方がいいなら何を見ればいいんだ!代替案を教えろ!」という問いに対する私の回答は、「本を読もう!」となります。
ニュースは生み出されるのも消費されるのも早いというその性格上、
- 内容が薄い
- 考察が浅い
- 大げさな表現
- 恣意的な印象操作
といったあまり良くない面が多いです。
一方の「本」は、膨大な時間をかけて執筆され、何度も何度も推敲が重ねられ、多くの人のチェックを受けて作られているため、練り上げられた非常に密度の濃い情報や知識を得ることができます。
ニュースを見る時間や回数を大幅に減らし、本を読む習慣を身に着けたことで、私は確実に自分の知力や思考力が向上している実感があります。
ただ漫然とニュースを眺める代わりに、自分が興味のある分野の本や、日常生活、仕事に役立ちそうな本を読むことで、様々な能力を向上できるでしょう。
まとめ
今回の記事では、ニュースをできる限り見ないことのメリットを紹介するとともに、それに対する反論への私なりの回答を書きました。
ここまで読んでもまだ納得できない人も多いかと思います。
もちろん考え方は人それぞれですし、ニュースを完全に絶つ必要はありません。
それでも、ニュースを見るのは一日一回最小限の時間にするなど、触れる時間を極力を減らすことで、時間的にもメンタル的にもきっと大きなプラスになるはずです。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!